2013年3月17日日曜日

ベトナム戦争期のアメリカの外交と内政




60~70年代、ベトナム戦争期のアメリカの外交と内政  


  はじめに、本文書の位置づけに関して、本文書では60~70年代、ベトナム戦争期のアメリカの外交と内政について、当時の大統領毎の国内外へ向けた政策について言及しつつ、その特徴と当時の世論について批評したい。ベトナム戦争は、冷戦下における間接的な衝突は、朝鮮戦争、キューバ危機に並ぶものであり、かつ、冷戦時代の終盤に起こった非常に大きな意味合いを持つ出来事であると考える。ベトナム戦争の開始時期については、諸説が存在するが、ここでは主にアメリカの政治に関して言及してゆくため、1961年のアメリカが参戦した年をその開始時期としたい。当時、1961年にアメリカが参戦してから、1973年のパリ条約による完全撤退、つまりアメリカにとっての終戦までには、ジョン・フィッツェジェラルド・ケネディ(民主党,1961/01/20 ~ 1963/11/22
)、リンドン・ベインズ・ジョンソン(民主党, 1963/11/22 - 1969/01/20)、リチャード・ミルハウス・ニクソン(共和党, 1969/01/20 - 1974/08/09)の3名がアメリカ大統領を務めた。それでは、大統領ごとにベトナム戦争の局面の推移と、国内外の政策について言及していく。
 最初に、ベトナム戦争参戦時の大統領、ジョン・F・ケネディの時代について論じてゆきたい。まず“参戦”とある通り、当時アメリカは、9.11からのイラク戦争とは異なり、自ら引き起こした戦争ではなく既に起こっている第二次インドシナ戦争に“参戦”するという決断をした。その頃、既に始まっていたインドシナ戦争とアメリカの関わりについては、2代前の33代大統領のトルーマン政権に遡る。当時トルーマン政権は、第二次大戦時の仏領インドシナ(ベトナム)を保持しようと侵攻するフランスの支援に力を入れていた。トルーマン政権下における対フランス軍事支援は、ほぼ七億七五百万ドルに達していた。その背景にあったのは、アジアへ拡大しつつあった西側諸国の影響力を抑えることが目的としてあった。そしてこの戦争が、米ソ冷戦の一部として捉えられるようになったのも、その目的が顕在化したこの頃であった。それからの、アイゼンハワー政権におけるインドシナ戦争との関わりついては、本レポートの位置づけから離れるため多くを省くが、前任者のアイゼンハワー大統領の軍産複合体への警告を無視し、一代あけたケネディの時代に軍事拡大に着手し“参戦”することとなった背景に言及すると、そこにはアメリカ国民からの評価を強く気にした姿勢があったのではないかと思われる。当時、結果として失敗に終わったが、反共政策としてキューバへの侵攻計画を企てたのも、もし自分が、ラテンアメリカにおける反共政策へ積極的であれば、アメリカ国民に、自らの外交態度が手ぬるいと批判されるのではないかという恐れが背景にあった。そして、ケネディが、アジアにおいて自分が掲げた共産主義との戦いの場として、最も注目したのがベトナムであった。彼は、南ベトナム一国でも共産化されると、周辺諸国もドミノ倒しのように次々と共産化され、アジア地域全体が共産主義者の手中に収まってしまうというドミノ理論the Domino Theory)を持ち出し、大統領就任の1961年すぐに、参戦の判断を下した。
  このようにケネディ時代の外交は、1950年代におけるアメリカのソ連共産主義との、イデオロギー対決の延長線上に位置づけられ、その対決に対して、より攻撃的に踏み出していった政権といえよう。ケネディは多くの米軍師団を派遣し、その数は1960年には685名であったものを、15,000名にまで増加させ、1964年末には計23,300名となった。
  内政に関していえば、「ニュー・フロンティア政策」と総称した国内政策を打ち出していった。内容としては、教育への連邦政府支出と高齢者医療保険、政府による景気対策、独立以来続いていた人種差別法案の撤廃等が意図された。
そして、ひとつ特徴的な点は、ケネディ政権下では、ベトナム戦争への参戦を内密に進めたことである。ケネディは、アメリカ中間層へ向けた理想的で美しい政策を掲げ、またアメリカ国民からの批判を恐れ、南ベトナムへの介入を秘密にさせておきたかったのである。
  続いてベトナム戦争中に就任し、戦争中に任期を終えたジョンソン大統領下におけるベトナム戦争の局面と、彼のそれに対する姿勢、外政、内政について言及してゆきたい。リンドン・ジョンソン大統領は、フランクリン・ルーズベルト大統領依頼の福祉政策を極めた大統領であると言われる。国外では、ベトナム戦争を継続させつつ、「偉大な社会」というスローガンをもとに社会福祉政策に力を入れた。
  しかしながら、その任期中、片手間に対処していたベトナム戦争という外交面で致命的な過ちを起こすこととなった。それは、ベトナム戦争を過去のアイゼンハワー、ケネディの政策を継続させる形で、疑いなく拡大路線をとってしまったという点である。彼は、民意を捉えきれなかったのである。ジョンソンは、ベトナムが共産主義国化されれば、自分自身が指導者として非難されることを恐れた結果、強行姿勢をとった。しかしながら、現実は、アメリカ国民は、自国民の犠牲者が多数出ることの方をより恐れた。実際、この後のニクソン政権下において、ベトナムからアメリカ軍の撤退を決定した際も、また、1975年に南ベトナムが陥落しても、大部分のアメリカ人は気にすることはなかったとのことであった。戦争の継続を判断したジョンソンはさらに1965728日に陸軍の派遣も発表し、ベトナムへ派遣されたアメリカ軍(陸軍と海兵隊)は1965年末までに「第3海兵師団」「第175空挺師団」「第1騎兵師団」「第1歩兵師団」計184,300名に膨れ上がり、1966年末には30万人を超えるまで増加した。こうして地上軍の投入により戦が拡大し、またゲリラ戦により次第に泥沼化していったのである。
  ジョンソンは、国内政策においては一定の成果を上げたものの、ベトナム戦争の激化に伴い、アメリカ国内では若者を中心に反戦運動が激化した。19674月には約125000人の人々がホワイトハウスに向かって反戦デモ行進を行い、同年支持率は、23%まで低下していた。さらにアメリカ国内における反戦ムードが強まるきっかけとなる事件が発生した。1968316日にはアメリカ陸軍第23歩兵師団第11軽歩兵旅団のウィリアム・カリー中尉率いる第1小隊がクアンガイ省ソン・ティン県ソンミ村のミライ集落において無抵抗の村民504人を無差別射撃などで虐殺するソンミ村虐殺事件が発生し、この事件が報道されるとアメリカ国内で反戦運動がより激化していった。そのような内政に悩まされたケネディ政権は、1968年次期大統領選不出馬を表明し、それに変わるようにして、ベトナム戦争を終結させると宣言したリチャード・ニクソンが大統領候補として指名された。
  最後に、終戦へと導いたニクソン政権下におけるベトナム戦争の局面と、彼のそれに対する姿勢、外政、内政について言及してゆきたい。1969年に大統領に就任したニクソンは、1969ニクソン・ドクトリン(Nixon Doctrineを発し、「名誉ある撤退」を取り繕うために、「ベトナム戦争のベトナム化(The Vietnamization of the Vietnam War)」と主張し、ニクソン政権下にて、国家安全保障担当補佐官を務めた、キッシンジャーとともに交渉を進め、北ベトナムと停戦協定を締結した。そして1973年には、パリ条約を締結し、アメリカ軍は完全撤退した。このパリの平和交渉は、キッシンジャーの手腕により、大統領選挙直前に締結し、アメリカ国民に公表したため、同年大統領選では、見事にニクソンが選挙を勝ち得た。その後、前述もした通り、1975年アメリカの後ろ盾を失った南ベトナム政府軍は、首都サイゴンを陥落させられ、ベトナム戦争は終結したのである。
  このようにして、当時アメリカを中心に世界へと大きな影響を及ぼした冷戦構造下におけるベトナム戦争は、ケネディ、ジョンソン、ニクソンの三人のアメリカ大統領により、開戦から終戦に至った。今回は三人の大統領の大きな特徴は、やはり「ベトナム戦争」により、その政権の座を大きく左右されたという点であろう。国家が抱える最大の課題が選挙の焦点となることは非常にあたりまえのことであるが、またアメリカの大統領選挙制度ならではの政治展開といえたのではないかと思われる。もちろん、国家として取り組むべき課題として戦争というのも非常に大きな問題ではあるが、ジョンソン政権下で、「貧困への戦争(War on Poverty)」と称されたように内政課題も非常に重要である。そう考えると、三人の大統領は、どの大統領も、いかに戦争政策で民意を獲得し、外交問題と同時に国内課題に取り組むか、が当時の政権として焦点であったと思われる。今回考察した通り、ベトナム戦争下における、各政権による戦争政策と、そのための国内政策には非常に密接な課題があることがわかる。今回考察された、外交政策、国内政策と民意と選挙の相関関係は、選挙制度や議会制度等により若干の違いはあるものの、どの時代や民主国家においてもある程度、同様な傾向が出されるとおもわれる。私は、これらの傾向や考察を踏まえ、一国民として世界の流れに目を向けて、現代社会における各国の外交、内政に目を向けることが、20世紀アメリカの悲劇的な歴史から学べることなのかと思う。

  参考文献
『現代アメリカ政治外交史』 安藤次男
1961ケネディの戦争 : 冷戦・ベトナム・東南アジア』   
  松岡完著. -- 朝日新聞社, 1999.
 20世紀世界の記録 23:ベトナム戦争と反戦運動』   
    日本ビクター企画・制作・著作. -- 日本ビクター c1991.
  20世紀アメリカと戦争』堅田義明 著 学陽出版 2008
 『ヴェトナム戦争の起源』赤木完爾 著 慶応通信 1993


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